何度も

 辛いときに何度も思い出すのが、

 詩編23篇、詩編91篇、ヨハネ15章、主の祈り・・・・

 歌の歌詞によくある、祈っても何もないとか、神様の声は聞こえないとか、ありますけど、

 そんなことないよ。といつも思います。

 求めれば与えられますし、与えられないのにも理由があります。

 最近も、祈っていてなかなか与えられない"あること"の、理由が夢で説明されていて、とても納得しました。

 諦めたわけではないけども、違う道を通って行ってもいいかも。と反対に希望が湧いてきました。

 もっと単純に、子供のように神様に求めて生きたいと思っています。

 それにもっとイエス様の愛のうちで、生きていきたい。

 私には他の人を助けるほどの余力はないけども、イエス様の愛のうちにいるときは、

 ちょっとは他の人に優しく出来るし、イエス様の愛からはぐれてしまったときは、

 それは自分勝手で、他人にも厳しくて、イヤミな人になってしまいます。

 それなら、イエス様の愛のうちにもっといたほうがいい・・・

 以前はこのよう時に、(私ばかり幸せになっていいのかしら?)なんて感じていましたけど、しばらくすると

 その反動で(私ばかり不幸だ)という思いにもよく取り付かれていました。

 でもイエス様の愛のうちにいることは、自分勝手になることではないし、私が幸せになることは、

 他の人もまた幸せになっていく始まりになるかもしれないしね。

 今日はなんだかポジティブだわ私。

 ニュースを見ると、恐ろしいことや、大変なことや、不幸なことがいっぱいみたいですけど、

 (最近は見ると、胸がドキドキして、辛くて苦しくなってくるので、ほとんど見ないです)
 
 幸せなことは見えないですからね。幸せなことはニュースにならないから。

 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと、

 恵みとが、私を追って来るでしょう。

 私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。詩編23篇6節

 イエス様の愛のうちにいることが、私にとって主の家に住むことなんだな、そこが私にとって本当の故郷なんだと思うんです。ではまた 

 

 

 
 

 

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