イエス様の姿

 また、仕事で怒っていました。帰りの道でもおさまらず、

 プリプリしながら歩いていると、イエス様に「わたしを許して欲しい。」と言われました。

 (すべて心の中の光景、音、声です。私にとってはほんとうのことです。)

 「何のことですか?」と答えると、イエス様が鞭を打たれ血を流している光景が見えました。

 十字架への道です。

 「私がイエス様を許すなんておこがましいと思います。それに私はイエス様に怒っているわけではありません」と

 言いました。「でも、やっぱり怒りが治まりません。」と言いました。

 イエス様は鞭打たれた姿で、「わたしを許して欲しい。」と言われました。

 私は、十字架の黙想していてもよく感じることですが、イエス様に罵声を浴びせた民衆や、

 イエス様に鞭を打った兵士たちと何ら変わらない者なんだということです。

 自分の世界で感じる不満をイエス様にぶつけて、それでもイライラしているのです。

 でも、イエス様が鞭打たれ血を流されている姿を見ていると、

 (イエス様は私の罪を負ってくださったし、私だけでなく私を傷つける者達の罪も負ってくださったんだ)と思いました。

 不思議と静かな気持ちが戻ってきました。

 私は許そうと努力はしませんでした。

 でも、イエス様の姿が、イエス様の血が、私の心を静めてくださったんだと思います。

 神様の愛は、ものすごく激しく、それでいて静かで揺るぎないものなんだと感じた今週でした。

 この方にいのちがあった。

 このいのちは人の光であった。

 光はやみの中に輝いている。

 やみはこれに打ち勝たなかった。ヨハネ1章4-5節

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