十字架の黙想

 毎日ではありませんが、十字架の黙想をしています。

 十字架上のイエス様の姿とみことばを、こころに留めます。

 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」ルカ23章34節

 「まことに、あなたにつげます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」ルカ23章43節

 「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」「そこに、あなたの母がいます」ヨハネ19章26-27節

 [わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」マルコ15章34節

 「わたしは渇く」ヨハネ19章28節

 「完了した」ヨハネ19章30節

 「父よ。わが霊を御手にゆだねます」ルカ23章46節


 全てのみことばが、重要な意味を持っているのだと思います。

 また、全てを理解することは出来ないことも感じます。

 ほんと、最初に黙想し始めた頃は、

 イエス様、ごめんなさい。申し訳ない。という気持ちでしたが、

 最近は、イエス様ありがとうございます。イエス様のおかげで生きていられます。

 と、思うようになってきました。

 そして、この十字架の黙想をするたび、

 イエス様は人間として生きて、死んでくださったけど、やっぱり神様、神の子なんだと感じます。

 他の誰かが、私のために死んでくれたとしても、私が救われたとは思わないでしょう。

 申し訳ない、またはありがとうと感謝したとしても、

 私が死んで、天国へ行けるとは思えないからです。

 でも、イエス様を信じると、イエス様の十字架を受け入れると、

 そうだ、私は死んだ後には、パラダイスに行けるんだ。

 私は救われたのだ。と思えるのです。

 これは神の子(イエス様)が死んで下さったから、

 このように思える(確信できる)のだと思います。では、また

 

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